千葉島と関東平野
千葉県の形をしたチーバくん
千葉県は太平洋に浮かぶ島?
最近こんな話を聞きます
確かに地図を見ると
利根川と江戸川に区切られ本州と地続きになってないように見えるが…
正確には野田市や我孫子市、香取市に飛び地になってる箇所があります。
醤油の町 野田市の一部が本州側に飛び地なっていて地続き
難読名だけど人名や電車の行き先等で割りと読める人は多い?我孫子市(あびこ)
なんと千葉島側に茨城県取手市の飛び地が
これらは利根川の流域変更で出来た飛び地と思われます
野田市、チーバくんの鼻先辺りが茨城県の飛び地になっていて地続き
香取市には利根川を超えて本州側に大きな飛び地がある
以上の事から
千葉県は本州とは地続きなっている…!
千葉島じゃない…!!
…まぁ飛び地を無視すれば確かに千葉県は島なのかもしれないです…
他県に行くには、利根川江戸川に掛かる各橋やアクアライン、電車、金谷フェリー矢切の渡し等の船、成田空港からの飛行機を使用しないといけません
台風の時期には電車が止まってガチで千葉県から出れなくなります…
話変わって鎌倉殿の13人を見て思ったこと
昔の歴史の授業の時もそう思ってました
石橋山の戦いで敗れた源頼朝はなんで船で安房(千葉県)に逃れたのかな?
陸路で逃げれば良くない?と
まぁ陸路だと敵に見つかる可能性は高いけど、
当時の航海技術では船で渡るのも同じ位のリスクがあるのでは?
当時は陸路で千葉に行くのは困難?
海面が何メートルか上昇した場合の千葉県
千葉島…
縄文時代くらいはガチでこんな地形だったらしいです…
チーバくんがかなり痩せてます…
因みに江戸時代の初期の頃まで上の地図程では無いですが、東京と千葉の間は
海、沼、川、湿地が広がっていて、ほぼ千葉島。
通行がとても困難だったみたいです。
徳川家康は豊臣秀吉に警戒され、
東海地方から関東に国替えされましたが、
これも昔の歴史の授業で、
「秀吉、家康を左遷するのに関東に移すってバカじゃね?虎に翼を与えるようなものだと」…
思いましたが、それは現代人視点で見た場合。
江戸時代初期の頃の関東平野はとても人が住める所では無かったのです。
この海、沼、川、湿地の広がる関東平野は家康の利根川東遷事業によって大きく変わります。
「坂東太郎」
当時の利根川は流路が東京湾にありました。
今の荒川等も利根川に合流していて坂東太郎と呼ばれる巨大な暴れ川でした。
そんな利根川を太平洋側に移す大工事。
これによって関東平野は出来上がり、千葉も本州とほぼ?地続きになりました。